amslの日記

日々の記録。日記/料理/オーボエ/お出かけなど

どこにだって行けると思わせてくれた人

今週のお題「これに影響を受けました!」

 

大学時代、とてもアクティブなサークルの先輩がいた。仮にMさんとする。

Mさんはいわゆるバックパッカーだった。世界のどこでも、登山用の大きなバックパック1つを背負って旅していた。行きたい国を決める→居酒屋などで集中的にバイトして旅費を貯める→旅に出る という生活サイクルを繰り返していて、しょっちゅう日本からいなくなっていた。それでいて留年をしている様子はなかったのが不思議だが、卒業要件に留学が必須という特殊な学部だったので、そのあたりは上手くやっていたのだろう。

サークルの出没率は高くなかったが、部室に行くと顔を合わせることがあり、色んな話をきかせてくれた。ちなみに登山サークルだったので、Mさんは山行にも時々参加していたが、私個人は予定が合わず、Mさんと一緒に山登りをすることはなかったと思う。とても陽気で、社交的で、酒豪で、帰国子女で英語が堪能な人だった。

大学1年の冬、そんなMさんと一緒にロシア*1に行くことになった。きっかけは本当にたまたまで、あるとき部室で話をしていたとき、Mさんが「世界最北端のマックにマックシェイクを食べに行くけど、来る?」と言ったのだ。正直Mさんにとっては同行者はいてもいなくてもよく、また同行者は私でなくてもよく、たまたまその場にいた人にノリで声をかけただけなのだと思う。私は即座に「行きます!」と返事をした。Mさんは旅慣れているし、何より誘い文句が魅力的だった。

旅程はMさんが作ってくれて、私は行きと帰りの飛行機を確保してパスポートを用意するだけでよかった。(今思うとバウチャーの手配とか色々面倒なところを丸投げしてしまったと思う。すみません)Mさんはウラジオストクからシベリア鉄道で大陸横断後、ヨーロッパ諸国を経由してペルーへ、私はウラジオストクからモスクワ、ムルマンスクまで同行して、その後Mさんとは分かれて一人帰路についた。

ロシア旅行はとても刺激的で良かった。詳細を書くと話がそれるので省くが、間違いなく世界が広がる体験だったと思う。言葉が通じなくても意外と意思疎通ができると知ったし、色んな人との出会いや会話があって、どれも強く記憶に残っている。

旅先でMさんともたくさん話をしたが、夜にイルクーツクの川沿いを歩きながら、「旅行中に事故に遭うっていうのは隕石が落ちてくるようなものだから、滅多に起こらないし、起こったら起こったでしょうがないと思う」と言っていたのがとりわけ印象に残っている。旅慣れたMさんがそう言うなら、未知の場所に出かけることを過剰に怖がらなくてもいいのかもと思えた。

ロシアで分かれた後、Mさんとは会っていない。そのままペルーの大学に入学されたからだ。「スペイン語勉強したいからペルー行こうかな」「スペイン語よく分かんないけどペルーの大学に入学したいってメールしといた」という話をしているのを聞いていて、そのまま本当に現地に行ってしまったので、あまりのフットワークの軽さに驚いたものだ。

Mさんの真似は流石にアクティブすぎてできないが、行動を共にしたりその背中を見たりする中で、人はどこにだって行けるし何だってできるんだと思うようになった。また、1人でロシアから帰国できたことは私の中で大きな自信になり、日本各地や海外にふらっと旅に出るようになったし、色んなイベントにも気兼ねなく行けるようになった。Mさんに影響されて身に着けたこの行動力は、今後も大事にしていきたい。

*1:この当時は今のような戦時下ではなく、まだ平和な時期でした